ぬむめ ブログ

趣味の記録や雑記ブログ

愛する娘の高校生最後の卒業式を見ることができなかったコロナウィルスのせいで的な話



f:id:numume:20170505124556j:plain

私が忘れないうちに書いておきたいことがある。

私が小学校に通っていた数十年前、母と父が運動会を見に来てくれた。低学年の頃は、体の悪いおばあちゃんまで無理をしてわざわざ学校まで足を運び、私を応援してくれた。学習発表会や参観日なども同様だ。

私が中学に上がると思春期というのだろうか、親が学校に私の姿を見に来ることが恥ずかしく思え、来ないようにお願いした記憶がある。そもそも、小学校と違い、親が子供の姿を見るイベント自体が少ないのだ。唯一、母親が見に来たのは卒業式だ。「来なくてもいいよ」と私は言ったはずだが、そんなわけにはいかないと、両親にしっかりと卒業を見届けられた。

小学生の時とは違い、子供と両親の距離を取りがちな中高だが、それでも卒業式には行き、子供の晴れ姿を見たいと思うのが親心なのだろう、私にはその思いがよくわかる。それは私の娘に対して同じように想うからだ。

娘の卒業式がコロナウイルスにより、予定の日程よりも1日延期され、親族の参加はできないばかりか、在校生による見送りもなく、卒業する3年生だけで式が行われた。

たしかに、コロナウイルスの感染拡大を防ぐという理由はわかる。実際、卒業式の日は北海道知事より『緊急事態宣言』がされており、小中学校は休校になっていた。だが、卒業式に親がいけないというのは、あまりにも悲しすぎる。

「生徒の親は納得いくのだろうか?」と想いつつ、卒業式を終えた娘に式の様子を聞くと、少なからず、生徒の保護者が何人か来ていたようだ。ルール違反にはなるが、先生のみなさんも入場を強く拒否するわけにはいかなかったのだろうと想像がつく。

「それならば私も無理矢理にでも行けば良かった」と後悔しないわけではないが、複雑な気持ちになった。それは『ルール』を守るべきなのか、それとも『それを破ってでも娘の晴れ姿を見届ける』べきだったのか。私は卒業式に参加していないのだから、ルールを守っている。しかし、心の中ではルールを破るべきだったと考える自分がいる。でも、もう二度と娘の高校卒業式に行くことはできないし、どうすることもできない。

コロナウイルスによる影響は日本だけではなく、世界各国で問題となっている。体調を崩したり、命を落とす方もいるので、それにくらべれば卒業式に行けないなんてことは些細な問題かもしれない。だが、自分の子どもの卒業式を間近で観れなかった両親の方々は、私も含めとても悲しい思いをしたのではないだろうか。そう思い人生を後悔しないためにも、学校に無理を言ってでも卒業式を見届けた親族が少なからずいたのではないだろうか。

そして私は「どうすればよかったのだろうか」と、今も考えている。

終わりに

卒業式用に新しいスーツ買わなくて良かった/(^o^)\

以上、ぬむめでした。